百婆仙(ペク・ハソン)

Goddess-of-Fire火の女神ジョンイがBSフジで放送中ですが、ジョンイのモデルとなった朝鮮初の女性沙器匠(陶磁器を制作する名匠)の百婆仙(ペクパソン)」という人物についてまとめてみました。

百婆仙(ペクパソン)は李氏朝鮮14代王「宣祖(ソンジョ)」の統治した16世紀末に実在したと言われる女性ですが、本名は不詳とされています。
(photo by: imbc.com


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目次

有田焼の母

豊臣秀吉の文禄の役(壬辰倭乱、1592-1593)の時に夫と共に朝鮮から連れてこられ、最初は現在の武雄市に住み陶器を製作していましたが、夫の死後に有田(現在は世界的に有名な有田焼で知られる)に移り住み、有田焼の興隆に貢献したと言われています。

百婆仙は有田へ移住する時、家族や弟子たちを含めた1000人近くの陶工集団を連れて行ったと言われ、大きな勢力を誇っていたことが計り知れます。

有田焼の母と呼ばれるのに相応しい女棟梁だったわけです。

引用:「1561-1656 朝鮮王朝の陶工。 明宗16年生まれ。夫深海(ふかうみ)宗伝とともに文禄(ぶんろく)・慶長の役で肥前武雄(たけお)(佐賀県)城主後藤家信につれられて朝鮮から渡来。夫の死後一族をひきいて有田稗古場(ひえこば)にうつり窯をひらいた。明暦2年3月10日死去。96歳。」 via 百婆仙(ひゃくばせん)とは - コトバンク
引用:「百婆仙は同族工人九百六十人を引き連れて有田の稗古場へ転住」 via 深海家と家永家
百婆仙の名前の由来

百婆仙(ペクハソン、ひゃくばせん)というのは何やらミステリアスなネーミングです。

ちょっとおどろおどろしい響きを持った名前ですが、実は全く正反対の意味だとか・・・

『容貌が温和で長寿を保ったことから、子孫が彼女を敬愛して呼んだ名前』なんだそうで、実は有田焼の厳しい師匠でありながら優しいおばあちゃんだったのかもしれませんネ。

確かに「仙」という呼び方は仙人みたいに長寿のシンボルですから、そういわれると納得です。・・・追記(2015/10/13)

有田焼の発展を支えた朝鮮女性陶工・百婆仙:ありたさんぽ・準備の裏側
百婆仙の夫「新九郎」こと「深海宗伝」とは

macchaさて、百婆仙の夫で深海宗伝という人物の朝鮮名は金泰道だったとのことで、現在の釜山にほど近い慶尚道金海の出身でした。

金海は、古代朝鮮の駕洛国(金官伽耶)の故地で韓国で最も多いキムさん(金姓)の本拠地だと言われています。

また古来より陶器、特に茶碗の製造で知られており豊臣秀吉が統治した当時の日本では茶道が人気だったという理由で、茶碗の名工が数多く日本に連行されたのではないでしょうか。

金泰道は、日本渡来当時は「新九郎」と名乗っていましたが、武雄領主の後藤家信が日本名を与えようと名を訪ねたところ「シンカイ」と答えたので「深海」という姓を与えたと言う逸話が残っていますが、実は「シンカイ」は朝鮮語の「金海」の聞き間違いではないかという説があります。

引用:「日本の姓を与えようと出身地を訊ねた処「シンカイ」と答えたので、シンカイ即ち深海を姓として与えた。」 via 深海家と家永家

金海は朝鮮語で「김해、gimhae」、発音を聞いてみると「ギンメイまたはキメ」と聞こえるので本当の所はよくわかりませんでした。

大往生を遂げた百婆仙とその時代

百婆仙は1561年生まれで1656年没とありますので100歳近くまで生きたという訳ですネ。
現在でも長寿ですが、400年近く前の時代では驚異的な長生きだったことでしょう!

波乱の人生を生きた彼女ですが、まさに大往生を遂げました。

明暦2年(1656)3月10日に死去したとのことですので、江戸時代、第四代将軍の徳川家綱の時代の事です。

翌年には、儒学者の新井白石が誕生、また林羅山が死去した頃の事でした。

画像引用:「萬了妙泰道婆之塔」 via 深海宗伝と 百婆仙 | 株式会社 深海商店

参考情報

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「火の女神ジョンイ」参考情報
公式サイト情報
「火の女神ジョンイ」

火の女神ジョンイ」は、ムン・グニョン(「メリは外泊中」)主演の歴史エンターテイメントドラマ。
朝鮮で初の女沙器匠(王のための器を作る陶工職人・サギジャンと読みます)となった女性のサクセスストーリーです。

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