イニョプの道クク・ユのモデルとなった府院君は?

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イニョプの父で非業の死を遂げるクク・ユは、朝鮮建国の功臣で府院君(プウォングン)の称号を持つ人物として描かれています。

クク・ユはドラマの序盤で、第3代王・太宗(テジョン、イ・バンウォン)の使いの咸興差使(ハムンチャサ)として太祖・李成桂(イ・ソンゲ)が暮らす咸興の宮廷へ赴きます。

その時の李成桂とのやり取りを聞いていると、「かつてお前は私側にいたが、今はバンウォンが側にいる裏切り者だ」と非難されるシーンが紹介されていました。

この逸話を解釈すると、クク・ユは李成桂の朝鮮建国を助けた建国の功臣であり、かつ現在の王・太宗の信頼も厚い人物という事でしょうか。

そこで、イ・ソンゲとイ・バンウォンの在位期間、かつ建国の功臣として府院君の称号を得た人物達を見比べながら、クク・ユのモデルとなる人物がいたのかどうかを探ってみました。

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府院君(プウォングン)とは何か?

府院君は爵位のひとつで、王后(皇后)の父親を指す「国舅(국구)、グッグ」、正一品(官職の最高位)の品階を受けた功臣に与えられる爵位とされています。

グッグという発音が、なぜか「クク」とかぶってしまうのですが、思い過ごしでしょうか?

国舅として有名なのが、奇皇后の兄の奇轍(キ・チョル)で、徳城府院君の称号を得ました。

彼は、高麗の王后の父親ではありませんが、元の皇后としての妹の権勢に配慮した高麗から府院君に封じられます。

関連記事:「奇皇后」の生家「奇一族の繁栄と滅亡」

少し、脱線しましたので話を元に戻します。

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クク・ユのモデルとなった府院君は?

クク・ユは架空の人物ですから、歴史には登場しません。

しかし、モデルとなった人物がいるのではないかと思い、調べてみる事に。

まず、イ・ソンゲとイ・バンウォンの在位期間を見てみましょう。

イ・ソンゲの在位期間は1393年~1398年

イ・バンウォンの在位期間は1400年~1418年

となっています。

次に、外戚以外で府院君の称号を得た人物でイ・ソンゲとイ・バンウォンという二人の王に仕えた府院君を洗い出してみましょう。

二人の府院君

この時代にかぶる建国の功臣は、次の二名くらいでしょうか。

光陽府院君(李茂芳、イ・ムバン、1319年~1398年)

光陽府院君は、イ・バンウォンの即位前の1398年に79歳で没していますので、クク・ユの年齢層とは合いません。

寧城府院君(呉思忠、オ・サチュン、1327年~1406年、没79歳)

こちらは、1393年に太祖となった李成桂によって寧城府院君(ヨンソン・プウォングン)に冊封され二人の王に仕えていたと思われますが、かなりの高齢です。

しかし、1394年(67歳)に中枢院副使になったのを皮切りに、高官を歴任。

高齢であったのにも関わらず、大活躍した人物のようです。

イ・バンウォンの政敵で当時飛ぶ鳥を落とす勢いのチョン・ドジョンとも距離を置き、官僚や軍人たちの不正腐敗を厳しく取り締まったと言われる人物です。

これなら、イ・バンウォンにも信頼されていたはず。

1404年(太宗4年、77歳)には長年の功績を認められ寧城君(ヨンソングン)に封じられたとあります。

ところが、二人の府院君とも天寿を全うしているようですから、人生半ばで命を落としたクク・ユとは全然違う人物という事になりますネ。(クク・ユはあくまでフィクションですから・・・)

寧城府院君の正義を貫き、誠実で、主君に忠実な人物像がどこかクク・ユのイメージを彷彿とさせますので、個人的には彼がモデルであって欲しいと思うのですが・・・

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